家系図を作成するとき最初にやるべきことは「一族の戸籍を収集すること」でした。
定めた系統について全ての戸籍を収集できたとしましょう。
そうなればいよいよ家系図の作成をすることができます。
第3回目のテーマは「戸籍の情報整理」になります。
これさえできれば家系図は作成できたも同然です。
細かく分けて考える
調査範囲が1系統(名字の数が1つ)だけだったとしても家系図の作成は登場人物が本当に多いです。
複数系統になれば100人を超える場合も珍しくありません。
登場人物、書類が多くなればなるほど話がややこしく感じてしまうのは当然です。
これは私の恩師の秘伝なのですが、ここで奥義を伝授しましょう。
ややこしい話は微分せよ
微分という単語を使いましたが、何も高校生の数学を勉強しなおせというわけではありません。
複雑な物事はできるだけ細かく区切って整理を行うべし、ということになります。
これを本テーマに当てはめて考えてみると、まず複数系統を一気にやるのはプロでもない限りはナンセンスです。1系統だけに絞って話を考えましょう。
そして、1系統の中でも一気にやるのではなく細かく区切るのです。
区切る単位は「1夫婦(=夫婦+子供)」が良いでしょう。
注目すべきポイントは1夫婦(=夫婦+子供)のうち「夫1人に着目して」情報を整理することです。
日本で最も多いのは妻が婚姻で名字を変えて夫の戸籍に入るというパターンですので、まずはこれを基本として説明していきましょう。
そうして1夫婦の単位ごと整理をし、最終的につなげてみれば家系図の完成ということになります。
- 1系統だけ考える
- 複数系統は一気にやらない。1系統(1つの名字)ごとに整理する。
- 1夫婦だけ考える
- 1夫婦(夫婦+子供)に着目して情報の整理を行っていく。
- 全てを繋げたら家系図の完成
- 複数系統の場合はこれを繰り返すだけになります。
戦前と戦後の戸籍制度
戸籍は時代によって種類が変わります。民法や戸籍法が改正されたという事情が生じた場合に「戸籍の項目」が変わってしまうので、「戸籍の名簿の紙」をそもそも作り直して差し替えていた、そういう説明を先日の記事でもしました。
しかし、この情報を整理する段階ではもう少し詳しく前提知識が必要になります。
ある時代のある戸籍には「誰が記載されているのか?」を概略で良いので知る必要があります。
日本の戸籍は戦前と戦後で戸籍に名前が出る人が少しだけ違うのです。
できるだけ法律論に踏み込まずに概略を交えながら解説をしていきます。
それでは山田A郎さんが自分の家系図を作成するという事例にしましょう。
以下、山田A郎さんの目線で考えてみてください。
山田A郎の家系図作成奮闘記
作りたい家系図を考える
一族の戸籍は全て集めているものとして、作りたい家系図は以下です。
「(作成者)A郎-B郎-C郎-D郎-E郎-F郎(先祖)」
話を単純化するため以下の条件で考えていきましょう。
- 転籍は考慮に入れないものとします。
要するにずっと同じ場所に住んでいた話。 - 最もシンプルな1系統の家系図を目指す。
要するに自分と同じ名字の先祖を辿ります。 - 婚姻時には妻が夫の姓を名乗るものとします。
夫が改氏するケースもあるでしょうが日本人に最も多い類型なので。 - とりあえず卑属の話は考慮に入れません。
直系卑属、傍系卑属など話がややこしくなります。用語の意味はこちらへ。
まずは現在の戸籍制度の復習からです。
執筆時の令和5年現在は「夫婦」を基準として戸籍は作成されています。ここで1夫婦とは「夫婦+子供」を1単位とする考え方になります。
ですから「山田A郎」を筆頭者とする戸籍には「A郎、妻、その子供」が記載されることになります。
詳細は後述しますが、この考え方は戦前と戦後で大きく違うってことをまずは覚えておきましょう。
山田A郎さん(作成者)の戸籍を辿ってみる
例えば昭和55年(1980)生まれ山田A郎さんであるとしましょう。
家族構成は父B郎、母B子、A郎、A兄、A弟の5人家族でいきましょう。
戦前も戦後も同様ですが、戸籍制度は出生時にまずは筆頭者(戸主)の戸籍に入ります。
ですから、A郎は出生時にまず父親の山田B郎さんの戸籍に入ります。【S23式戸籍】
ずっと手書きの時代でしたが、平成6年(1994)でコンピューター化されて戸籍が差し替えられました。【H6式戸籍①】
これらには山田B郎のほか、妻のB子、子供のA郎、A兄、A弟の名前が書いてあります。
出生からずっと父親の山田B郎の戸籍に入っていましたが、例えば平成12年(2000)に海野A子と婚姻をしたとすると(山田の姓を選んだとします)、それまで入っていた戸籍から抜け落ちて新しく山田A郎さんの戸籍が作られます。【H6式戸籍②】
ここには山田A郎のほか、妻のA子、子供が記載されます。
子供を考え始めるとややこしいので本記事では考えません。
ちなみにここまで戸籍の種類が3つ登場しましたが、それぞれの詳細はさしあたり考えなくて大丈夫です。ある人の戸籍は1つだけではなく複数存在しているという理解ができれば十分です。
若干概念的になってしまいますが、各時代の戸籍の細かい記載事項への理解などとりあえず置いておいて大丈夫です。まずは大きな流れを掴むことを意識すると良いでしょう。
実物を見れば法律を知らなくても案外なんとかなりますから。
ここまでの情報を図示するとこうなります。

戸籍を仕事として扱うというのは珍しいですから、これを読んでいるみなさんは戸籍に触れる機会が少ない人がほとんどでしょう。
色々書いてあるので何を見れば良いかわからないかもしれませんが、とりあえず人物に注目してみると良いでしょう。
家系図の記載方法については別の機会に解説しますが、記載ルールをご自身で決めておきましょう。
さしあたり本記事では「=」を婚姻とします。
図示する方法は前述の縦に世代を伸ばす書き方がわかりやすいと思います。
名前については縦書き横書きどちらでも構いません。本記事では図面スペースの都合上、横書きにしているだけです。
色についてもわかりやすいよう配色しただけで、実際に書くときには黒一色で問題ありません。
少々細かいですが、「リンク」についても復習しましょう。戸籍の取得場面で必要になる知識でもあります。
まず山田A郎の今現在の住民票に記載がある「本籍地」とは、【H6式戸籍②】のものです。
そこには「従前戸籍」という欄があって、これが【H6式戸籍①】にリンクされています。おそらくこのように記載されていると思います。
「【従前戸籍】 東京都~ 山田B郎」
以前「緻密なリンクが張られている」と表現したのですが、まさにこのことです。
どこの誰の(=名簿のラベル)戸籍を見れば辿れるかがわかるようになっているのです。
該当する戸籍がまさに【H6式戸籍①】というわけです。
そしてこちらもまた、同様に【S23式戸籍】へとリンクが張られています。
山田B郎さんの戸籍を辿ってみる
次の手順はA郎の父親である山田B郎に注目して戸籍を辿ることになります。基本的な考え方はA郎さんの話と同様です。
山田B郎は昭和25年(1950)生まれ、昭和50年(1975)に婚姻をB子としたとしましょうか。
家族構成は父C郎、母C子、B郎、B姉、B妹の5人家族とでも設定しましょう。
この時系列だとまだ戸籍法の改正がないので楽ちんです。
婚姻により抜けた話だけなので、戸籍の種類は2つになるでしょう。
これらの情報を整理するとこのようになります。

さて、更に前の世代に遡るにはこれまた「リンク」を利用する必要があります。
山田B郎の【S23式戸籍①】にはおそらくこのような記載があります。これは先ほどの「従前戸籍」と全く同じ意味合いです。
「〇〇B子と婚姻届 昭和50年〇月〇日受付 東京都~山田C郎戸籍から入籍 ㊞」
このリンクがあるからこそ山田C郎の戸籍を辿ることができるのです。
要するに山田C郎の戸籍を見てくれ、という意味です
戦前と戦後で戸籍の制度は違っている
次の手順は山田C郎の戸籍を辿るのですが、古い戸籍は少しハードルが上がります。
まず、民法の家族法の考え方が戦前と戦後では全く別物であることを理解せねばなりません。必要な範囲でなるべく簡単に概略だけ説明します。
戦後の民法に規定される家族法、そして戸籍法は「夫婦」を単位として考えています。 「夫婦+子供」を一括りにしているのですね。
しかし、戦前の考え方は全く違います。「家」を一括りにしていたのです。この「家」とは「夫婦+子供」だけに限らず、自分の兄弟姉妹であるとか、母であるとか。場合によっては隠居により家督相続を行って父が含まれる場合すらあります。
今ではあまり聞かなくなりましたが「お前が後継ぎだ」とか「家を継がなければ」とか「家を分ける」だとか、江戸時代以前からずっと続いてきた風習や制度が完全に切り替わったのです。その良し悪しはさておき、民法や戸籍法はそのようになっています。
もう1つ大きく違う点で知っていた方が良いのは、現行法では「筆頭者」と呼ばれるラベルが「戸主」というラベルになっていることです。ここではさしあたり、似たようなものだという理解で問題ないと思います。単語のニュアンスさえわかれば家系図作成で支障はありません。
ちなみに戦後の戸籍制度では「筆頭者」が亡くなっても戸籍は切り替わらずそのまま使われます。しかし、戦前の戸籍制度では「戸主」が亡くなると戸籍が新しく作られます。
この辺りの知識も知っておくと良いでしょう。
山田C郎さんの戸籍を辿ってみる
山田C郎を明治43年(1910)生まれ、昭和15年(1940)に婚姻をC子としたとしましょう。C郎の家族構成を父D郎、母のD子、C姉、C姉としましょう。また、父D郎の兄弟姉妹をD姉、D弟、父D郎の母をE子としましょう。
戦後の戸籍にはC郎・C子の夫婦+その子供しか記載はされないのですが、戦前の戸籍は「家」が単位なので、前述した登場人物が全員記載される可能性があります。
また、戸主死亡による戸籍の切り替えもあったはずなので、どこかのタイミングで戸主のD郎が亡くなったものとしましょう。
これらの話を図示するとこうなります。

時系列としてはこのようになります。
まずC郎が出生して父D郎の戸籍に入る。【M31式】
ここには戸主のD郎のほか、D郎の妻D子、D郎の母E子、D郎の兄弟姉妹のD姉、D弟が記載されています。それに加えてD郎・D子の子であるC郎、C姉2人が記載されています。
そして制度が変わって新しい戸籍の作り直しがあります。【T4式①】
D郎が亡くなると新しく戸主となったC郎の戸籍が作られます。【T4式②】
その後にC子と婚姻をしたため、C子であるとかC夫妻の子が記載されていきます。
そしてまた制度が変わったため新しく戸籍が作られます。【S23式】
ここから戦後の戸籍なので、現在と取り扱いは同じになります。
C夫妻+子が記載されていくんですね。
少々余談ですが戦前は「家」を中心にした制度と言いました。
D弟が婚姻したのならその奥さんと子供、子供が婚姻してその奥さんと子供・・・というように複数夫婦が1つの戸籍に入る場合もあり得ます。
D姉の方は通常は夫サイドの戸籍に入ることが多いですが、稀に夫がこのD郎の戸籍に入ってくる場合もあるでしょう。
また、「分家」という制度もあり、例えばD弟が分家すればこの戸籍から抜け落ちます。ちなみに先日の記事でご紹介したように分家とは家の繁栄を意味して喜ばしいことだとされていたようです。
あと更に話がややこしいのは「当時は縁組を常習的に行っていた」ことです。そうなると複雑な家系図になります。
今紹介している事例はできるだけ単純化していますが、現実の戸籍はもっと複雑かもしれません。
山田D郎さんの戸籍を辿ってみる
山田D郎を明治13年(1880)生まれ、明治38年(1905)にD子と婚姻したとしましょう。
家族構成は先ほどと同様に、父E郎、母E子、D姉、D弟としましょう。また、戸主E郎が亡くなって戸籍が切り替わったとします。E郎の兄弟姉妹をE姉、E弟としましょう。
日本最古の戸籍は明治5年の壬申戸籍と呼ばれるものですが現在入手できません。
ですから本事例で登場する明治19年式の戸籍が最古のものとなります。
明治19年(1886)にスタートして「戸主 山田E郎」の戸籍の中にもろもろ記されていたと思います。【M19式戸籍】
ここに書かれているのは前述の説明と全く同じです。戸主の山田E郎、妻のE子、その当時生きていたのであればE郎の母。E郎の兄弟姉妹のE姉、E弟も書かれていることでしょう。
ここで注目すべきはE郎の父F郎です。
生年月日の記載はありませんが「前戸主 山田F郎」として記載があるはずです。なお、E郎の母についてはその時点で生存していれば記載がありますが、そうでなければ記載されないことの方が多いです(この時代は役所によって若干記載方法など違っている場合があります)。
明治31年(1898)になると制度とともに戸籍も切りかわります。【M31式戸籍①】
E郎が亡くなると、新しく戸主となったD郎の戸籍が作られます。【M31式戸籍②】
そして大正4年(1915)に制度とともに戸籍が切り替わります。【T4式戸籍】
これらは全て戦前の戸籍になりますから、戸籍に載っている人の考え方は基本的には全て同じだと思って良いと思います。

なお、山田F郎さんについてですが、戸籍から辿れる一番古い人になります。
余談ですがF郎がいつの時代の人なのかを少しだけ考えてみましょう。
戸籍には生年月日が必ず記載されています。例えばE郎が安政6年1月1日産まれなのであれば、「出生 安政6年1月1日」と記載されています。
しかし「前戸主」には生年月日の記載がないことが通常です。
そこで第1子の長男E郎の生年月日から逆算するのです。
この時代は婚姻も第1子も早い傾向にあります。およそのところ第1子を授かるのは20歳ごろと考えてよいと思います(もちろん人によってまちまちです。)。
するとE郎の出生日1860年(安政6年)から20年遡ってみると山田F郎の生年月日が推定できます。
つまりF郎はおよそ1840年(天保10年)ごろの人だったことが判明します。
天保と言えば老中水野忠邦が行った天保の改革(1841~1843)が有名でしょう(wiki)。
まさに義務教育で学ぶ日本史に出てくるような出来事の時代ですね。
家系図を作成するときにご先祖様が産まれた、結婚した時代はどんな日本だったのかを調べてみると本当に面白いです。
それぞれ作った家系図をまとめる
ここまで整理ができたのならゴールはすぐそこです。小分けにした情報をまとめるだけになります。
家系図の詳しい表示方法については別の機会に譲りますが、先ほど作成した図をベースにそのまま繋げてみるとこうなります。

どうでしょうか。
天保10年(1840)ごろに生まれた山田F郎さんまでの家系図が出来上がりました。
作成した山田A郎さんは昭和55年(1980)生まれという設定でしたから、執筆時の令和5年現在では40歳ほどでしょうか。
20歳で長男が生まれたとすると、早ければ孫がいるかもしれませんね。
もちろん自分より下の世代を書いてはいけないルールなどありません。
お孫さんがいればしっかり書いてあげましょう。
また、これはあくまで1系統の話です。
例えばご自身について4系統とか8系統。奥さんについても8系統など、調査の範囲を広げていけばますます立派な家系図が完成するでしょう。
まとめ
- 複数の系統を一気に作ろうとは思わないこと。
- 1夫婦(夫婦+子供)ごとに図示してみる。
- 全部繋げたら家系図の完成!