遺言制度への誤解と偏見②

遺言

遺言(ゆいごん)と聞くとマイナスなイメージはありませんか?
このマイナスなイメージから誤解が生じているかもしれません。
よくありそうな誤解を1つ1つ解いていきましょう。
第2回目は「遺言を書いたら財産を使えなくなるでしょ?」です。

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遺言を書いたら財産を使えなくなるでしょ?

結論から申し上げますと、全く関係ありません。
その辺り、当然に考えられて制度設計がされています。
まず、遺言を書いた後に使ったらどうなるかを考えてみましょう。

遺言の効力はいつ生じるのか?

そもそもですが、遺言はいつから生じるのか。
常識的なところかもしれませんが、まずは確認してみましょう。

民法
(遺言の効力の発生時期)
第九百八十五条
 遺言は、遺言者の死亡の時からその効力を生ずる。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=129AC0000000089

原則として、ご自身の書いた遺言は、ご自身が他界してから効力が生じるということになります。
あれ、そうすると不都合が生じないか?

先日お話したとおり、遺言を書くタイミングというものは自由ですから(15歳以上という限定はあります)、仮に50歳で遺言を書いてから亡くなるのは40年後かもしれません。
40年も時間が違えば状況など違って当然です。大きな出費が急に必要になってしまったり、当初は考えてもなかった施設に急遽入ることになったり、遺言を書いたタイミングで考えていた事情が変わってしまう場合もあるでしょう。

そうなると、状況が変わってしまったり、或いは書いた遺言のことなどすっかり忘れてしまったりなどの事情から、当初に書いた遺言の内容と状況が矛盾してしまう場合があるでしょう。遺言に書いた財産を使ってしまったら法律的にまずいことになるのではないか?
そうなる事を民法は当初から織り込み済みで制度設計がなされています。
法律的な側面だけを考えると遺言者ご本人に不都合は一切生じません。

抵触する法律行為による撤回

以下、この事例で考えてみましょう。
事例を単純にしたいので、奥さんは既に他界しており3人家族としましょう。

遺言者:山田太郎
 遺言者の長男:山田一郎
 遺言者の二男:山田次郎

例えば、「甲不動産を長男山田一郎に相続させる。」を書いたとしましょう。急遽、まとまった現金が必要になってしまって、甲不動産を売却してから亡くなってしまったら?

こういう矛盾が生じてしまったときのために、民法にはこのような規定があります。

民法
(前の遺言と後の遺言との抵触等)
第千二十三条
 前の遺言が後の遺言と抵触するときは、その抵触する部分については、後の遺言で前の遺言を撤回したものとみなす。
 前項の規定は、遺言が遺言後の生前処分その他の法律行為と抵触する場合について準用する。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=129AC0000000089

日本語に翻訳すると、矛盾する状況になってしまったら「矛盾する部分については遺言がなかったことにしましょう」という意味になります。
先の例の「甲不動産を売ってしまった」というのはまさに矛盾する生前処分の代表例です。当初、甲不動産は長男一郎にあげる予定だったところ、売却してもう手元にはありませんから。
つまり本ケースはこの条項全体に矛盾が生じているので、この部分の遺言はなかったことになります。

どの法律の専門書にも記載されているような内容ですが、遺言制度は「遺言者の最終意思の尊重のためだ」と言われるところです。
遺言を書いたために何か縛りがかかってしまったり、何か遺言者に不利益なことが生じてしまったりすると本末転倒ではないですか。遺言という制度は遺言者が不利益になるようなルールは存在しません。
まさに遺言者の「最終」の意思を実現したり尊重したりしましょうという話です。
最も遅い話(=亡くなる日に最も近い行為)が最優先というわけです。

つまり遺言を書いた時の意思よりも、甲不動産を売却した時の意思の方が最後の意思と言えますよね。
遺言を書いた人は、自分の書いた遺言に拘束されて何かご自身に不自由が生じてしまうような話には絶対になりません。
仮に矛盾が生じてしまったら、後の「売却した」という行為が優先されるというだけの話です。

兄弟間紛争を予防するためには?

いくら遺言者ご自身に不利益がないとはいえ、他界後の遺産分け紛争を予防するというのも遺言の役目でしょう。これもまた、親の役目であるとも言えます。
よく「子は夫婦のかすがい(繋ぐ役割という意味)」と言われるところですが、兄弟から見てもまた「親は兄弟姉妹のかすがい」であると私は思うのです。

自分の子供が兄弟間で10年も血みどろの殴り合い戦争を望む親など普通はいないでしょう(ドラマのテーマではよくありそうな話ですが。)。
であれば、遺言で紛争予防ができるのであれば手を打っておくべきです。

例えば「①甲不動産は長男山田一郎に相続させる。②預貯金1000万円は二男山田次郎に相続させる。」という遺言を書いたとしましょう。
仮に、亡くなるまでに大きなお金が必要になってしまって、預貯金が大きく目減りしてほとんど空になってしまったとします。
この場合に矛盾するのは②の条項全体ですから、この部分だけが撤回になります。
細かい話をすればきりがないですが、原則としては、①の「甲不動産を一郎に相続させる」という部分だけが基本的に有効なものとして残ります。

法律的には全く問題がないのですが、この状況になったとき二男の次郎はどう思うでしょうか。「なんで俺だけ」という思いから怒って弁護士事務所に駆け込んでしまうかもしれません。

どこかで聞いた話ですね。そうです先日の記事の例と全く同様です。

このような場合に備えて、これも先日の事例と同様に、「付言事項」にて心を込めて理由を説明するのです。一郎も次郎もどちらも愛していることには変わりがないのだと伝えるのです。どうしても一郎に不動産は渡したい事情があるのだと伝えるのです。
こうすることによって訴訟のリスクが1%でも減らせることができるかもしれません。

法律的な話をすれば、負担付遺贈にするだとか、清算型遺贈にするだとか、色々とテクニック的な知識でよりよい状態に整備することは可能です。しかし、「付言事項」にて心を込めて一郎も次郎も大切な存在であることを文章で表現するのです。

心を込めて想いを伝える、まずはこれが重要だと私は思います。
テクニックなど些末な問題にすぎません。

先日と結論が全く同じになってしまいますが、遺言は家族へのラブレターです。
遺言の有効性が争われた裁判例は星の数ほど存在しますが、その最大の原因は遺言を書いた人の想いを上手く伝えることができなかったから(或いは伝えてすらなかったから)ではないかと私は睨んでいます。

確かに「以心伝心」というように「言葉にせずとも想いは伝わるのだ」という考え方もあるかもしれません。
しかし、それでは世の中に遺言や相続絡みの裁判が多い事の説明がつきません。兄弟で10年もケンカなどして欲しくない、それは全てに共通する親心でしょうから。
具体的にわかりやすいように言葉に文章にしなければ伝わらない想いがあるというのもまた事実のように私は思います。

まとめ

  • 遺言を書いてなにかご自身に不利益が生じることは一切ない。
  • 遺言にあげると書いたらその財産が使えなくなるわけでもない。
  • 遺言で一番大切なのは「想いを伝える」ということ。

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