弊社におけるサステナビリティ活動
サステナビリティとは
サステナビリティとは、環境・社会・経済といった観点から地球環境を保全しつつ、良質な経済活動を維持していこうという考え方です。今まさにこの観点が重要視されており、持続可能な社会の実現に向けて様々な議論がなされています。この実現については1つの企業の努力だけでは難しく、取引先企業であったりお客様であったり投資家であったり、すべてが一体となって動くことが必要だと言われています(サステナブルな企業価値創造のための長期経営・長期投資に資する対話研究会より)。
現在の伝統的工芸品
ところで経済産業省によれば伝統的工芸品とは次のように定義付けされています。
伝統的工芸品産業の振興に関する法律
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=349AC1000000057
(伝統的工芸品の指定等)
第二条 経済産業大臣は、産業構造審議会の意見を聴いて、工芸品であつて次の各号に掲げる要件に該当するものを伝統的工芸品として指定するものとする。
一 主として日常生活の用に供されるものであること。
二 その製造過程の主要部分が手工業的であること。
三 伝統的な技術又は技法により製造されるものであること。
四 伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるものであること。
五 一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているものであること。
私たち日本人は江戸時代以前から脈々と「モノを大事に長く使う」という考え方が受け継がれてきました。「ものづくり」と表現されるように、日本ではこの精神性に基づいて各地で素晴らしい技術発展を遂げました。その地に脈々と根付いた伝統的工芸品に目を向けると高度な技術や美しさに目を奪われます。
しかし、周知の事実として、戦後の高度経済成長を経てこの考え方が「大量生産・大量消費」へとシフトしてしまいました。 考え方・生活様式等の様々な変化によって、日本の伝統的工芸品は極めて苦しい状況へと向かってしまっています。

同委員会では工芸業界の現在の趨勢として、「産地分業体制が構造的な不振に陥っており、この危機を産地が自ら乗り越えることができなければ産地は崩壊する可能性がある」と提言がなされているほどの状況です。
SDGsへの取り組み
SDGs(Sustainable Development Goals)とは、「持続可能な開発目標」と日本語で翻訳されています(外務省ホームページ)。これは国連サミット(2015年9月)に採決された2030年までに達成する目標として掲げられた国際目標です。先進国や途上国を問わず地球規模で抱えている問題のうち17のゴールと169のターゲットで構成されています。
そのうち「目標12 つくる責任・つかう責任」においては「より少ないものでより多く、よりよく」という経済活動のみならず、全ての人々の生活を質的に改善することが提唱されています。
これには人々のライフサイクル全体を通して、資源の利用や再利用を行い、劣化や汚染を減らしていくことが必要です。
ここでSDGsと伝統的工芸品には一見すると何らの関係もないように見えるかもしれませんが、伝統的工芸品はまさに「大量生産・大量消費」と対極に位置する製造業だと言えるでしょう。
製造過程において手作業で多くの工程を行いますから、電気等のエネルギー消費を抑えることができます。必要なものを必要なときに作りますから、大量生産・大量消費に伴う余剰製品の破棄によってかかる環境への負荷も抑えることができます。プラスチックの箱が壊れてしまったときどうしますか?新しい製品を買いますか?桐の箱であれば直すことだってできるかもしれません。
大量生産・大量消費が決して悪いものだとは思いません。しかし、冒頭で述べました、私たち日本人には元々根付いている精神「モノを大事に長く使う」がありますから、SDGsへの親和性は高いはずです。
弊社には「ものづくり」について技術も見識もありませんが、日本の素晴らしい伝統的工芸品という文化が廃れゆく趨勢に対して憂いています。弊社としてほんの少しでも良いから何かできないかと真剣に考えたところ、積極的に自社サービス提供へ伝統的工芸品を取り入れるという事で貢献できるのではないかと考えました。
日本の各地には素晴らしい職人さんたちが日々技術を磨き、真摯に伝統的工芸品を作っているんだと。
安かろう・悪かろうではなく、職人さんたちによる良い品であれば100年200年使い続けることができるのだと。
弊社は日本の伝統的工芸品を応援しております。
京都の西陣織
西陣織の魅力は、多色の糸を1本1本織り込んで美しい模様を描くことでしょう。
時間と手間こそ掛かってしまいますが、高い技術から生み出される美しい模様は複雑で、また重厚な歴史・文化から格式の高い織物であると言えます。
西陣織の歴史が古いことをご存じの方は多いのではないでしょうか。
どの時代に源流があるか辿ってみると、なんと古墳時代に渡来人の秦氏一族が技術を伝えたと言われています。
古墳時代と言うとおよそ西暦500年頃の話ですから実に1500年ほどの悠久の時を経ていることがわかります。
秦氏の技術はその後、平安時代に国営事業として展開されました。朝廷は秦氏の技術を受け継ぐ者たちを「織部司(おりべのつかさ)」という役職を与えて組織的に高級織物を生産させたのです。

ところで「西陣」という行政地名は存在しません(京都府ホームページ参照)。
応仁の乱(1467~)にて東軍と西軍に分かれて11年間も争いましたが、戦火を逃れて京都を離れていた職人たちが戦乱が収束した後に再び京都に戻ります。その地が応仁の乱の西軍の本陣周辺で織物業を再開したことが由来であるとされています(西陣織工業組合ホームページ参照)。

明治時代に入ると、京都府からの派遣により佐倉常七らが欧州に留学し、フランスより様式技術を西陣織に取り入れたと言います(京都府ホームページ参照)。西陣は海外の先進技術の導入に積極的であったとされ、そのことが現代にも見て取れます。
日本の近代化とともに歩みを進めた西陣織は、能衣装、打掛、几帳、帯、きもの、金襴など伝統的で高級精緻、絢爛豪華な手織技術と意匠を極めた製品に結晶するとともに、ネクタイ、インテリア、緞帳、ショール、バッグなど新しい分野にも幅広い製品を生み出しています。
京都府ホームページより引用
弊社が納品する際に使用している西陣織は、丸太屋産業株式会社様の製品になります。
西陣織の伝統的な素材としては正絹を用いるところ、当社は化繊を使用しています。まさに西陣という地域の「新しい技術の積極的な導入」を踏襲していると言えます。
西陣織の伝統的な技法を確かに受け継ぎ、そして守りながら、新たな分野を切り開こうとしています。
化繊とは言っても絹のようにしなやかに、帆布のように丈夫にすることを可能としています。
従来の正絹よりも耐久性に優れた裂地は現代生活を彩る商品や身近な織物へと革新を続けていると言えるでしょう。













西陣織についてYOUTUBEにて作成工程などまとめられた動画がありましたので引用させて頂きます。
京都が誇る伝統工芸の一つ「西陣織」は5~6世紀ごろの京都で発展した高級絹織物で、多彩な色を使った豪華絢爛な糸使いや緻密に織り上げられる文様の美しさが特徴です。 生糸から糸染めを行い、匠の技によって織りなされる華麗な文様、美しい西陣織の世界をお楽しみください。
京あそびチャンネルより引用
伝統の桐工芸
桐は国内外を問わず幸福を呼ぶ神聖な木とされてきました。
日本でも、例えば室町時代の小判へ刻印されたり、皇室であるとか豊臣氏など様々な政権が桐紋を採用したりしてきました。
現在でも日本政府の紋章として桐紋が採用されています。


木材としての特性は何と言っても生育の早さと材質の軽さにあります。かつて「女の子が産まれたら桐を植え、婚姻するときにその桐でタンスを作る」といった風習があったのも、この事に由来するのではないでしょうか。
その他、桐の特性としては湿気を適度に保つ調湿機能、害虫を防ぐ防虫機能、また抗菌や防腐効果まであります。
桐と言えば「桐たんす」が最も有名かもしれませんが、これら桐の特性から着物だけでなく漆器や銅器、焼き物など高価な工芸品を入れる容器としても桐工芸が日本各地で発展してきました。

弊社が納品する際に使用している桐箱は伝統工芸の町、富山県高岡市にて代々続く老舗の美術木箱うらた様が作成した製品になります。同社は林野庁によるウッドデザイン賞2021を受賞するなどその品質もさることながら、桐の良さを周知させるべく現代においても日常的に使うことができる生活雑貨の開発など意気軒高と活躍されています。
一言で「桐工芸」と言ってしまえば簡単ですが、桐は変形・変色を起こしやすい材質であるとされています。
丸太の状態で数年間も雨ざらしにする「アク抜き」から「乾燥」を経る必要があり、この時点で大変な手間暇がかかっています。
その後、製材や枠組みなど様々な工程が同社の職人の手により1つ1つ行われ、1つの桐箱に命が吹き込まれます。
よく「桐は息をしている」と表現されるところですが、周囲の湿度が高ければ水分を吸収して膨張し、乾燥すると水分を放出して収縮するという特性があります。
収納した大切な物を桐箱はカビや劣化から守ってくれるのです。
夏は多湿、冬は乾燥という日本の四季にぴったりの素材であると言えるでしょう。
古来より「へその緒」を桐箱に入れて宝物として大切に保管するという風習があるのも、まさにこの桐箱の特性によるものです。
大切なものを何十年も守り続けてもらうために桐箱の中に入れるというのは先人の知恵の結集だと言えるでしょう。

阿波和紙
和紙の歴史は古く、日本での起源は諸説あるようですが、少なくとも5世紀ごろには日本での和紙作りが開始されていたとされています。日本書紀を紐解いてみると次のような記載がされていたとされます。

履中天皇4年(403年)に初めて国史(ふみひと)を配置して言事(ことわざ)によって様々な事柄の記録を始める
wikipedia「和紙」より引用
つまり、国家として紙による行政記録の誕生です。国の事業として紙が必要になり紙の需要が高まったことでしょう。そのほか、宣化天皇3年(538年)に仏教が伝来したとされますが、経典を複製することが必要だったはずです。
紙漉き(かみすき)という技術が日本で伝承されていますが、欽明天皇元年(540年)の時代に渡来人の秦氏が日本で紙を作ったのではないかとされているようです。
今現在、私たちが手にする紙の多くは「洋紙」であると思います。
定義については諸説あるようですが、およそのところ和紙と洋紙の区別は原料の違いで区分されているようです。
洋紙の原料の主流は木材を原料としたパルプとなります。
和紙は日本で行われてきた独自に発展した技術を用いて、雁皮(ガンピ)・楮(コウゾ)・三椏(ミツマタ)などを原料としていることが主流です。

アワガミファクトリーより引用

アワガミファクトリーより引用
和紙の特徴としては、「洋紙に比べて格段に繊維が長いため、薄くとも強靭で寿命が比較的長く、独特の風合いを持つ」と言われています(wikipediaより引用)。一説によれば「1000年続く」と言われるほど保存性には優れているようです。
弊社が納品する際に使用している和紙は、伝統的工芸品の指定もある阿波和紙(あわわし)の産地である徳島県のアワガミファクトリー様が作成した製品になります。同社は和紙の伝統文化を継承するとともに、様々な製法技術の開発まで行っています。
阿波和紙は、今からなんと1300年も前に伝わったものだと古語拾遺(807年)に記録されているそうで、同社の発祥についても江戸中期との事ですので日本の文化そのものを和紙と共に歩んできていると言っても過言ではないでしょう。
和紙の製造工程は大きく3段階に分かれており、「原料の処理」、「原料の加工」、「紙漉き」からなります。
最終的な「板張り」と呼ばれる乾燥工程は1枚1枚乾かしていくというのですから、本当に大変な作業です。
そうして柔らかく、温かみがある和紙が完成していきます。

アワガミファクトリーより引用

アワガミファクトリーより引用

アワガミファクトリーより引用

アワガミファクトリーより引用
同社にヒアリングを行ったところ、和紙の特性として同社は「中性紙」の特徴を活かしているとのことでした。例えば西洋の図書館で18世紀頃に作成された書物は現在、ボロボロになって劣化してしまっています。
原因は様々でしょうがその一因として「酸性により劣化が進んでしまった」というものがあるそうです。和紙にそもそも備わっている中性紙としての特性、それから製造過程においてもその中性紙としての特性を壊さないような工夫がされています。
まさに、100年も200年も大切にしたい書類にピッタリの素材であると言えます。

アワガミファクトリーより引用

アワガミファクトリーより引用