遺言(ゆいごん)と聞くとマイナスなイメージはありませんか?
このマイナスなイメージから誤解が生じているかもしれません。
よくありそうな誤解を1つ1つ解いていきましょう。
第4回目は「遺言なんてまだ早いでしょ?」です。
遺言なんてまだ早いでしょ?
結論から申し上げますと、遺言を書くべきベストなタイミングはご自身が元気な時です。
今はまだ若いから良いやと先送りにしてしまうと、後々認知症等の発症により書くことができるタイミングを失ってしまう場合があります。
この点について少々深掘りして見ていきましょう。
遺言能力
先日の記事でもご紹介しましたが、大事な話なので再度見ていきましょう。
遺言という法律行為は効力が強いため、また遺族の紛争防止という役割があるため、厳格なルールが定められています。
そのうちの一つが遺言能力と呼ばれる「遺言をすることができる能力」です。ほぼ日常用語と変わらないので何となくのニュアンスはわかるかと思います。
民法
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=129AC0000000089
(遺言能力)
第九百六十一条 十五歳に達した者は、遺言をすることができる。
第九百六十二条 第五条、第九条、第十三条及び第十七条の規定は、遺言については、適用しない。
第九百六十三条 遺言者は、遺言をする時においてその能力を有しなければならない。
大事なルールですが、要するに「遺言書を書くには15歳以上であることが必要だ」という意味になります。しかし、15歳以上であれば常に遺言が可能かと言うとそうでもありません。
例えば民法総則編の次の規定の問題もあり得ます。
意思能力
民法
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=129AC0000000089
第二節 意思能力
第三条の二 法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする。
遺言とは法律行為の一種ですから、この意思能力というものも問題になります。「無効」とは文字通り効力が生じていないことを意味します。
例えば、認知症が進んでしまうとコミュニケーションを取ることが難しくなりますよね。
程度や個人差によって一概に言えませんが、コミュニケーションを全く取れなくなってしまった状態、これがおよそのところ「意思能力がない」という状態になります。そうなれば、遺言の法的な意味合いとしては効力がないね、と言われてしまいます。
付言事項に込めた家族へのラブレター部分が否定されることはありませんが、ご自身が遺言で実現しようとしていたことは難しいと言わざるを得ません。
認知症を患ってしまった方を身近に見た事がある方はわかるかと思いますが、「意思能力を有していない」という状態は自分の遺言を書くなど絶対に無理だと感覚的にわかるのではないでしょうか。
この遺言能力・意思能力がどのタイミングで備わっている必要があるかというと、もちろんそれは遺言を実際に書くタイミングになります。
認知症になったら一切書くことができないのか?
前述のとおり、「意思能力を持っていない」と判断されるような程度まで症状が進行してしまったら事実上不可能です。物理的に書くことはできないでしょう。
逆に言えば、認知症の症状が出たら即、遺言を書くことができないという関係でもありません。
この点については我々専門家としても判断が非常に難しいというのが実情で、およそのところ、裁判所では個々の事情を見ながら妥当な結論を探るというスタンスだと見受けられます。
認知症には症状の進行具合によっては「怪しい行動は多々見受けられるが、遺言くらいは書ける状態」のような場合もあるでしょう。
「画一的にこのライン」というような明確なものがあるのではなく、医師の診察結果であるとか、遺言作成前後の症状の状態であるとか、遺言内容の複雑さだとか、内容面での妥当性など様々なことを総合的に見て裁判所は判断しています。
認知症が関連する判例は山のようにありますが、有効とされた例・無効とされた例についてどちらも下級審ではありますが参考までに簡単に見てみましょう。
・遺言書作成の当時、返答がおかしいなど様々な異常行動があり、認知症の症状が出ていた。
・遺言書作成の当時、専門性の高い仕事をしていたり、仕事上の海外出張をしていたりしていた。
・遺言内容が複雑なものと言えず簡単なものであったことから、遺言書を作成する能力を有していたと認定された。
(以上、東京地裁平成29年10月23日より要約)
・遺言書作成の約5年前から記憶力が著しく低下しており、遺言書作成の前年には買い物も全くできない状態で、日常的な意思決定も1人ではできないという認知症の症状が出ていた。
・上記の認知症の症状が出ていた約半年後に遺言書が作成された。
・遺言内容が複数の法定相続人のうちの1人に相続させる旨の遺言など複雑なものであり、このことを適切に理解するだけの判断力を有していなかったと認定された。
(以上、東京地裁平成28年6月3日より要約)
このように、裁判になった場合には、認知症の症状であるとか遺言内容であるとか諸事情を全体的に見て、書いた遺言が有効なのか無効なのかが判断されることになります。
しかし、これはあくまでもご自身が亡くなった後に「家族が遺産分けで紛糾してしまい、裁判にまでなってしまっている」という点をよくよく考えなければなりません。
認知症であっても「書くことができるか?」ではなく、しっかりと疑義が生じない状態にして後々の家族間紛争を防止するという目的を忘れてはならないと思います。
例えば、「自宅を二男の次郎に相続させる」という遺言書を見た長男の一郎が、「本当にこれお父さんが書いたの?次郎に書かされたんじゃないの?この日付はお父さん、認知症が始まっていたよね?」というような些細な疑問が紛争の火種となってしまうのです。
そうして「この遺言書は偽造されたものだ!」「いや、お父さんちゃんと書いてたし!」などという大喧嘩が始まります。
先日の記事で申し上げたとおり、日本の裁判制度は時間と費用がかかります。
場合によっては多額の費用をかけて10年程度争われる事例も珍しいことではありません。
認知症が絡んだ裁判例を見ていると、遺言書を作成するタイミングが遅過ぎたとしか言いようのない事例が山のようにあります。
「遺言書が有効だったから良かったね」ではないのです。
そもそも何で裁判にまで発展するほど事態が紛糾してしまったのか、です。
認知機能に疑義が生じないタイミングで、しっかり家族を愛している事を文章で表現することができていれば、このような紛争状態にならなかったのではないかと心の底から残念に思います。
ご自身が文章で表現した家族へのラブレターはきっとご家族に伝わるはずですし、きっと紛争など防止できるはずであると私は信じているところです。
認知症は他人事ではない
私の両祖母は亡くなる際に認知機能が低下していました。
父方の祖母はアルツハイマー型認知症で私が物心ついたころには既に意思疎通ができない状況でした。
母方の祖母は身近な存在で性格もよくわかっていましたが、元気な頃は気丈な人でとても認知機能が低下するなど想像することすらできませんでした。
認知症になりたくてなる人などこの世に一人もいません。
それだけは断言できます。
様々な機能低下のうち意思疎通ができなくなる事ほど悲しいことはないでしょう。
正確なところは本人にしかわかりませんが、日々の生活の中で、もしかすると物忘れであるとかスイッチのオン・オフなどもしかすると自分でも自覚症状が出ていたかもしれません。
しかし、症状の進行具合を思い返してみると、「いつの間にか」物事がわからない状態になってしまっていた、というのが実態ではないかと私は思うのです。
私は医療の専門家ではありませんから、確定的な事は言えません。
しかし、日本での認知症の問題は年々深刻化している傾向にあることは事実です。
厚生労働省による発表によれば、令和2年(2020)においては日本の65歳以上の認知症の数は約600万人と推計されています。そしてこれが令和7年(2025)には約700万人になると予測されています。この数字は高齢者の約5人に1人であるとの推計になりますが、少なくとも「私は認知症になどならない」という断定は絶対に不可能だと思います。
およそ20%もの割合で発症してしまう可能性があるのですから、事実として「誰にでもなり得る」という認識をすることがまず重要だと言えるでしょう。
余談ですが、仮に認知症になってしまったら終わりというわけでもなく、認知症には「治療可能なもの」と「治療が困難なもの」があるようです。いずれにしても症状の自覚が出た場合には早期診療・早期治療が重要であるとされています。訓練であったり投薬であったり、治療により進行を緩和させることができる場合もあるとのことです。
遺言とは家族へのラブレターです。
ご自身がせっかく書いたラブレターの有効性が家族間で争われて裁判所で10年もの期間紛糾するなど、これほど悲しいことはないと思います。
裁判所で争われれば基本的に勝者と敗者が生まれてしまいますから、10年も殴り合ったその後の関係性など完全に崩壊してしまうでしょう。負けた方が勝った方と仲良くできるものでしょうか。どちらかのわだかまりなど無関係に結論を出さなければならない、裁判にはそのような側面があります。
家族へのラブレターを「書くことができる」というのは貴重な時間であり、また、幸せな時間であると私は思います。
「自分はまだ50歳だから早いよ」それはそれで構いません。
しかし、事実として10年後・20年後に「書くことができる」かどうかは誰にもわかりません。
まとめ
- 家族へのラブレターは元気なうちに書くべきである。
- 認知症等の発症により、自分の遺言が紛争の火種になる可能性がある。
- 自分が高齢者になったとき、認知症は誰にでも発症リスクがある。